大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和42年(行コ)2号 判決 1968年7月20日

控訴人 高松労働基準監督署長

訴訟代理人 片山邦宏 外三名

被控訴人 山下貞子

主文

本絆控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、次に附加するほかは原判決の事実摘示と同一(但し原判決一四頁一〇行目に「同長本忠」とあるのを「同長木忠」と訂正する)であるから、その記載をここに引用する。

(控訴人の主張)

(一)  本件受傷とパーキンソニスムスとの関係について

(1)  亡山下実太郎(以下被災者と略称する)が、本件障害補償費を請求するに至つた経緯について

被災者は、昭和二九年頃口頭で控訴人に対し本件受傷に基づくパーキンソニスムスとして補償を請求したところ、控訴人から専門家の診断を受けるよう指示されたので、高松赤十字病院、京都大学医学部附属病院で診断を受け、控訴人に診断書を提出した。そこで控訴人は調査の結果、右診断書によつてはパーキンソニスムスが業務上の疾病とは認められないと判断し、同年一二月に被災者にこの旨説明したところ、同人はこれを了承した。その結果、昭和三〇年、三一年は何ら補償の請求はなかつたのであるが、被災者は昭和三二年九月控訴人に対し再発認定申請書を提出し、同年一二月に林道倫医師の診断書を右資料として提出したので、控訴人は検討の結果昭和三四年二月右申請は認められない旨被災者に通知した。すると被災者は、同年四月に、林医師の昭和三二年一二月の診断結果に基づく意見を付して、本件障害補償費の請求をなすに至つたものである。

(2)  林道倫医師の診断について

前記のとおり、被災者が林医師の診断を受けるに至つたのは、疾病の冶療のためではなく補償費請求の資料を得んがためであつた。そして、林医師は一〇分位の短時間被災者を診察したにすぎず、しかも既往症等は全く知らされず、受傷事実やその後の症状もすべて本人の自訴を正当と信じ精密検査をすることなく判断したものであり、その結果、パーキンソニスムスが本件受傷に基づき発症したと誤診したものである。被災者は、本件受傷前すでにパーキンソニスムスが恒在し、且つその疾病が相当増悪していた。また、後記のとおり本件受傷後においても、受傷前と格別の変化はみられなかつた。しかるに林医師は、被災者か補償請求の資料として診断書を得る目的で来院したものであることを知らず、恰も本件受傷のみが原因であるかの如く訴えられたので、前記のような誤診をするに至つたものである。従つて、林医師の診断を以て本件因果関係の存在を認定することはできない。

(3)  原判決の判断について

原判決は、本件受傷の際被災者に意識障害の伴う頭部打撲があつたような判断をしているが、被災者が本件事故により意識障害や失神を起した事実はなく、外傷もすこぶる軽微なものであつた。

また、被災者のパーキンソニスムスは、本件受傷によつて増悪したものではない。

被災者は、本件受傷直後頓宮医師に対して頭部打撲の自訴もせず、同医師も、脳内出血または脳損傷による脳圧迫症状もなく、かつ橋架症状もなかつたと診断している。もし本件受傷により脳内出血を起していたならば、その直後から頭痛、めまい、はきけ、各種腱反射異状等の症状が発現する筈である。外傷を原因とするパーキンソニスムスは、推体外路系の損傷に基づき発症するもので、間脳の部分は特に保護され脳深部中央に位置し、頭部外傷等によりその部分だけを選択的に損傷を起すことは考えられないのである。

被災者は、本件受傷前から明らかにパーキンソニスムスの症状を呈していたものであるところ、本件受傷後も自然増悪のほか格別の変化はなかつたものである。被控訴人および山下孝子の供述中、被災者が本件受傷直後に手足がしびれて自転車に乗れなくなつたとの点は、信用できないものである。被災者は、本件受傷後も引き続き退職するまで自転車で通勤していたものであり(乙第四六号証)、昭和二六年夏背部打撲で受傷した際にも手足等の麻痺については何らの自訴もなく、また医学的にも認められず(乙第四五号証)、本件受傷後は通常の如く労務に服していたものであり、また昭和二八年まで引続き俳句会にも出席していた。

以上の諸点からみて、被災者のパーキンソニスムスは本件受傷後も特段の増悪がなかつたものと考えるのが相当である。

(二)  障害補償費請求権の有無について

障害補償は、業務上負傷または疾病にかかり、「なおつたとき」に、なお身体に障害が存する場合に請求できるものであり(労働基準法第七七条)、「なおつたとき」とは、症状が安定し疾病が固定した状態にあるものを言うのであつて、病状が固定せず進行しているものについては、障害補償の請求は許されない(療養補償または打切補償を請求すべきである)。従つて、パーキンソニスムスの如き進行性疾病にあつては、再発を理由とする療養補償を受けるべきものである。原判決は、本件パーキンソニスムスを進行性疾病と判断しているが、これが「なおつた」ことについては何ら認定していない。そうすると、本件受傷に基づく疾病は、「なおつた」ことにはならないのであり、本件障害補償の請求はその要件を欠き、失当である。

(三)  障害補償請求権の一身専属性について

元来障害補償の請求権は、身体になお障害が存する場合に従来のような働きかできないことを慮りその生活を保障するために認められたものであるから、譲渡、相続の対象とはならない一身専属権と言うべく、従つて被控訴人は、本件原処分について訴を提起すべき適格を有しない。

(四)  時効の主張について

保険給付を受ける権利は、二年を経過したときは時効によつて消滅するところ(労働者災害補償保険法第四二条)、この規定は、権利の確認を請求する抽象的請求権と、行政庁の支給決定により具体化した保険給付を請求する具体的請求権の双方について適用されるのであつて、障害補償の場合は、その傷病のなおつた日の翌日から起算されるのである。しかも、この権利は公法上のものであるから、時効につき援用を必要としない。そして、本件パーキンソニスムスが本件受傷の後遺症であるとすると、本件受傷は昭和二四年九月一四日になおつているのであるから、昭和三四年四月一六日になされた本件障害補償請求は、当然時効によつてその権利が消滅している。

証拠<省略>

理由

当裁判所の事実の認定、法律判断は、次に附加するほかは原判決の理由説示と同一(但し、原判決二二頁二行目「その間 」から同七行目「……診断をうけたこと、」までの記載を、「その間同年八月には京都大学附属病院でパーキンソニスムス(頭部外傷後性)との、その後昭和三二年八月には香川県立丸亀病院でパーキンソン氏病(頭部外傷後胎症)との、同年一二月には林精神病院で外傷性パーキンソニスムスとの、昭和三三年二月には香川県立中央病院でパーキンソニスムスとの各診断を受けたこと、」と訂正し、同二三頁一三行目及び同二四頁五行目に「祖父」とあるのを「実父」と各訂正し、同二四頁七行目「乙第五号証……」から九、一〇行目「……記載があるが、」までの記載を、「乙第五号証中には、昭和三二年八月香川県立丸亀病院で被災者は「パーキソン氏病(頭部外傷後胎症)」との診断を受けた旨の記載があるが、」と訂正し、同三二頁二行目に「証人山下梅言」とあるのを「証人山下梅吉」と、同四三頁一行目に「三月には高松日赤病院で」とあるのを「八月には京都大学附属病院で」と、同四六頁二行目に「証人岡田正雄」とあるのを「証人原田正雄」と夫々訂正する。)であるから、その記載をここに引用する。

(一)  本件受傷とパーキンソニスムスとの関係について

原判決認定の事実に<証拠省略>を綜合すると、被災者には本件受傷前から或程度のパーキンソニスムスが恒在していたものであるところ、昭和二四年九月四日の本件受傷に因り、右恒在していたパーキンソニスムスが著しく増悪した結果、顔面筋凝固、眼瞼振盪、口辱振顫、前突傾向箸明、全身筋強直、運動機構劣悪等の症状を呈し、身体衰弱により歩行も充分できない程度の身体障害の状況に立至つたものであつて、右身体障害は本件受傷を唯一の原因とするものではないけれども、本件受傷に因つて被災者のパーキンソニスムスが増悪した結果右身休障害が生じたものである以上、本件受傷と右身体障害との間には相当因果関係が存在することが認められ、当番における証拠調の結果を以てしても、原判決の認定判断を左右することができない。

なお、控訴人は、被災者が本件受傷により意識障害や失神を起した事実はなかつた旨主張するが、<証拠省略>によれば、被災者は昭和二四年九月四日、同僚の岡邦重、炭野与四郎と共に仕込タンク内の水洗作業に着手した際、タンクの底に転落して頭頂部附近を打撲したこと、当時タンクの上に居た岡、炭野の両名は被災者が転落したことに気付き、タンク内をのぞきこんだところ、被災者はタンクの底で仰向けに倒れたまま身動きしない状態であつたこと、そこで岡が「これはいかん」と感じタンクの底へ降りてゆき、「おつさんどうしたんか、しつかりせいよ。」と言いつつ被災者の手をとつて抱き起し、そのまま被災者を背負つてタンクの中から連れ出したことが認められ、右認定の事実によれば、被災者は右頭部打撲により一時的に脳震盪を起していたものであることが推測され、右推認を覆えすに足る証拠はない。

(二)  障害補償費給付請求権について

昭和三五年法律第二九号による政正前の労働者災害補償保険法第一二条第一項所定の障害補償費は、労働者が業務上負傷し、または疾病にかかり、「なおつたとき」身体に障害が存する場合にその給付を請求することができるものであるところ、(前同条第二項、労働基準法第七七条)、本件の場合、被災者は業務上生じた本件受傷に因つて従来から恒在していたパーキンソニスムスを著しく増悪せしめられ、以て前記認定の身体障害の状況に立至つたものであり、且つ本件受傷そのものは既に治癒しているのであるから、右身体障害はいわば本件受傷に因つて生じた後遺症状と同様の関係にあるものと言うべく、従つて被災者としては、従来から恒在するパーキンソニスムスが未だ治癒していない時点においても、障害補償費の給付を請求しうる権利を有するものと言わねばならない。

(三)  障害補償費給付請求権の承継について

業務上の災害に因つて身体障害を受けた労働者は、労働基準法第七七柴に基づき使用者に対して障害補償請求権を取得すると共に、前記改正前の労働者災害補償保険法第一二条第一、二項により政府に対して障害補償費の保険給付を請求しうる権利を取得するものであるところ、元来労働者災害補償保険法は労働基準法に定められた災害補償を迅速確実に実現させる目的を以て制定されたものであり、労働者が労働者災害補償保険法上保険給付を受ける場合においては、使用者はその価格の限度において補償の責を免れるのであるから(労働基準法第八四条第一項)、右労働基準法上の障害補償講求権と労働者災害補償保険法上の障害補償費給付請求権とは、その基本的性格を同じくするものと言わねばならない。

ところで労働基準法上の障害補償は、身体障害を受けた労働者に対する生活保障的性格を有すると共に、不法行為に基づく損害賠償的性格をも有するものと解されるから(労働基準法第八四条第二項、第七八条参照)、労働基準法に基づく労働者の障害補償請求権は当然相続の対象となるものと解すべきである。もつとも労働基準法第八三条第二項では、補償を受ける権利はこれを譲渡しまたは差押えてはならない旨規定しているが、右規定は、労働者をして現実に補償を受けさせるための保護規定であるから、右規定を以て障害補償請求権の相続性を否定する根拠とはなし難い。

そうすると、右労働基準法上の障害補償請求権とその基本的性格を同じくする労働者災害補償保険法上の障害補償費請求権もまた不法行為に基づく損害賠償的性格を帯有し、保険給付請求権者が死亡した場合には当然相続の対象となるものと解すべきである(なお、昭和四〇年法律第一三〇号による改正後の現行労働者災害補償保険法第一二条の五によれば、同法に基づく保険給付を受ける権利を有する労働者が死亡した場合には、その配偶者、子、父母等が自己の名で保険給付を請求することができる旨規定しているところ、右規定は同法上の保険給付請求権が一身専属権ではないことを前提とするものである。)

そして<証拠省略>を綜合すると、被災者は昭和三四年六月二四日死亡し、その妻である被控訴人が被災者から本件障害補償費の保険給付を受ける権利を相続により全部承継取得したことが認められ、従つて、被控訴人は政府に対して右保険給付に関する決定を求めることができ、右決定に不服のある場合には行政訴訟を以てその取消を求めることができるものと言わねばならない。

(四)  時効の主張について

労働基準法上の障害補償請求権及び昭和三五年法律第二九号による政正前の労働者災害補償保険法上の障害補償費給付請求権は、労働者の負傷または疾病がなおつたとき、身体に障害が存する場合に発生するものであり、いずれも二年を経過したときに時効によつて消滅すものであるところ(労働基準法第一一五条、昭和四〇年法律第一三〇号による改正前の労働者災害補償保険法第四二条)、右両請求権はいずれも不法行為に基づく損害賠償的性格を有するものであること前叙のとおりであるから、その消滅時効の起算点は、民法第七二四条の類推により、被害者が損害および加害者を覚知した時、すなわち業務上の災害に因つて当該身体障害が生じたものであることを覚知した時点であると解すべきである。

ところで本件の場合<証拠省略>を綜合すると、被災者が前記認定の程度の身体障害の存在を覚知し、且つ右障害が業務上の災害である本件受傷に因つて生じたものであることを確定的に認職するに至つたのは、早くとも被災者が林道倫医師によつて本件身体障害が頭部外傷に因るパーキンソニスムスの結果であるとの診断を受けた昭和三二年一二月二一日であると認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。そうすると、本件障害補償費給付請求権の消滅時効は、右同日から進行を始めたものと言うべきところ、<証拠省略>によれば、被災者はその後二年以内である昭和三四年四月一六日に控訴人に対し本件障害補償費の給付請求をなし、同年五月二六日控訴人から不支給処分を受けるや、被災者の相続人(妻)である被控訴人が同年六月二四日労働者災害補償保険審査官に対し審査の請求をしていることが明らかであるから、右消滅時効は未だ完成していないものと言わねばならない。

よつて、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は、相当であるから、民事訴訟法第三八四条により、本件控訴を棄却することとし控訴費用の負担につき、同法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 合田得太郎 奥村正策 林義一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例